2016年12月25日
CJSOTF-A所属の海軍EOD隊員 Chad R. Regelinさんについて
今回はイラク、アフガニスタンで戦った海軍所属のEOD隊員についてです
Chad R. Regelinさんはカリフォルニア州レティングで1987年5月30日に生まれました
幼い頃から活発な方でサッカーや野球をたしなみ、高校時代はフットボールチームに参加
2005年に卒業後2006年に海軍に入隊
EODの道を志し、2008年に実戦配備
イラク ラーワで爆弾処理任務に従事しアフガニスタン合同統合特殊作戦タスクフォース(CJSOTF-A)に参加
24才という若さでチームリーダーに登りつめますが、2010年 10月にカンダハル行政地区にて戦闘の末戦死
死後に勇気ある彼の行動に報いてブロンズスターが贈られました
(画像に問題があれば削除いたします)
Chad R. Regelinさんはカリフォルニア州レティングで1987年5月30日に生まれました
幼い頃から活発な方でサッカーや野球をたしなみ、高校時代はフットボールチームに参加
2005年に卒業後2006年に海軍に入隊
EODの道を志し、2008年に実戦配備
イラク ラーワで爆弾処理任務に従事しアフガニスタン合同統合特殊作戦タスクフォース(CJSOTF-A)に参加
24才という若さでチームリーダーに登りつめますが、2010年 10月にカンダハル行政地区にて戦闘の末戦死
死後に勇気ある彼の行動に報いてブロンズスターが贈られました
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2016年12月04日
手足をすべて失った兵士 Taylor Morrisさんについて
こんばんは
ゾンビハンターでございます
今回はIEDにより手足すべてを失った若い兵士 Taylorさんについてです(画像左)
子供の頃からロッククライミングやウォータースポーツなど多少危険なことが好きでした
海軍に入隊後は爆弾処理の道を選び、アフガニスタンに赴任
SEALSなどに追従してIED処理に当たってました
しかし2012年、アフガニスタン ヘルマンド州にて作戦区域の安全確保のため先導して展開していたところ、巧妙に隠されたIEDが起爆
不幸中の幸いなことに小型だったため胴体が引き裂かれることはなかったのですが気がつけば身体が宙返りしており、ちぎれた手足が見えたそうです
23才にしてこの時既に4つすべての手足が引きちぎれ、顎にも重傷を負い、常人であればショック死するところですが、彼は意識ははっきりしておりチームメイトに近づかないよう伝えました
手足から出血はしてましたが、爆発の熱で傷口が焼かれ致死量の出血はしなかったことやチームメイトの自分の身を顧みない献身によってなんとか一命を取り留め前線を離れ、本国ワシントンに送還
Wリード病院に入院
リハビリを続け、Advanced Arms Dynamics社の最新鋭義手 ミケランジェロハンドなどを寄付などで購入
懸命のリハビリや奥さんや娘さんの看護もあってか車椅子から義足を使って歩けるようになり、オバマ大統領ともホワイトハウスや病院で面会
現在は左腕以外はなんとか補って静かに御家族と暮らしてます
(画像に問題があれば削除いたします)
ゾンビハンターでございます
今回はIEDにより手足すべてを失った若い兵士 Taylorさんについてです(画像左)
子供の頃からロッククライミングやウォータースポーツなど多少危険なことが好きでした
海軍に入隊後は爆弾処理の道を選び、アフガニスタンに赴任
SEALSなどに追従してIED処理に当たってました
しかし2012年、アフガニスタン ヘルマンド州にて作戦区域の安全確保のため先導して展開していたところ、巧妙に隠されたIEDが起爆
不幸中の幸いなことに小型だったため胴体が引き裂かれることはなかったのですが気がつけば身体が宙返りしており、ちぎれた手足が見えたそうです
23才にしてこの時既に4つすべての手足が引きちぎれ、顎にも重傷を負い、常人であればショック死するところですが、彼は意識ははっきりしておりチームメイトに近づかないよう伝えました
手足から出血はしてましたが、爆発の熱で傷口が焼かれ致死量の出血はしなかったことやチームメイトの自分の身を顧みない献身によってなんとか一命を取り留め前線を離れ、本国ワシントンに送還
Wリード病院に入院
リハビリを続け、Advanced Arms Dynamics社の最新鋭義手 ミケランジェロハンドなどを寄付などで購入
懸命のリハビリや奥さんや娘さんの看護もあってか車椅子から義足を使って歩けるようになり、オバマ大統領ともホワイトハウスや病院で面会
現在は左腕以外はなんとか補って静かに御家族と暮らしてます
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2016年10月09日
空軍EOD隊員 Matthew R. Seidlerさんについて
今回は空軍所属の爆弾処理のエキスパート Matthew R. Seidlerさんについてです
1988年1月3日、メリーランド州生まれ
幼い頃は消防士になりたかったそうなのですが2006年にウェストミンスター高校卒業後2009年に空軍に入隊
高校時代の彼女と結婚し幸せな家庭をもちながら
コロラド川ラックランド空軍基地で訓練を受けます
彼は人を助けたいという気持ちから危険な爆弾処理の道を選び訓練自体は海軍で習いましたが21st Civil Engineer Squadronに配属されます
この部隊は土木建築が主な任務で基地を作ったりライフラインを整備したりIEDの処理も任務の内に入り基地周辺のパトロールも行います
Seidlerさんもパトロールを行ってましたが2012年 1月8日アフガニスタン ヘルマンド川周辺でハンヴィーがIEDに引っかかり即死
他二名の技術者も死亡
遺体は一部しか残らなかったそうですがデラウィアのドーバー空軍基地に移送され本国で眠っています
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1988年1月3日、メリーランド州生まれ
幼い頃は消防士になりたかったそうなのですが2006年にウェストミンスター高校卒業後2009年に空軍に入隊
高校時代の彼女と結婚し幸せな家庭をもちながら
コロラド川ラックランド空軍基地で訓練を受けます
彼は人を助けたいという気持ちから危険な爆弾処理の道を選び訓練自体は海軍で習いましたが21st Civil Engineer Squadronに配属されます
この部隊は土木建築が主な任務で基地を作ったりライフラインを整備したりIEDの処理も任務の内に入り基地周辺のパトロールも行います
Seidlerさんもパトロールを行ってましたが2012年 1月8日アフガニスタン ヘルマンド川周辺でハンヴィーがIEDに引っかかり即死
他二名の技術者も死亡
遺体は一部しか残らなかったそうですがデラウィアのドーバー空軍基地に移送され本国で眠っています
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2016年09月28日
海軍EOD隊員 Christopher E. Moskoさんについて
今回はアフガニスタンにて戦死された海軍の爆弾処理のエキスパート、Christopher E. Moskoさんです
1983年11月18日に生まれサッカーを愛し大学はフィラデルフィアのドレクセル大学を卒業
その後はエリートしか入れない海軍兵学校に入学
2007年にはEODを志すようになります
2010年にはハイチの人道支援に参加
アフガニスタンではIED処理のため小隊を指揮しました
しかし2012年4月26日アフガニスタン南東のガズニー州にてIEDに引っかかり爆死
享年28才
ガズニー州は刑務所がありますがタリバンに襲撃されて脱獄囚が出るなど小競り合いが続いています
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1983年11月18日に生まれサッカーを愛し大学はフィラデルフィアのドレクセル大学を卒業
その後はエリートしか入れない海軍兵学校に入学
2007年にはEODを志すようになります
2010年にはハイチの人道支援に参加
アフガニスタンではIED処理のため小隊を指揮しました
しかし2012年4月26日アフガニスタン南東のガズニー州にてIEDに引っかかり爆死
享年28才
ガズニー州は刑務所がありますがタリバンに襲撃されて脱獄囚が出るなど小競り合いが続いています
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